川上未映子さんの「夏物語」について。
雑誌『文學界』の2019年3月号から4月号で発表された作品です。
前篇・後篇合わせて1000枚の長編、これがまた面白いのでした。
川上未映子さんは『乳と卵』で芥川賞を受賞された美人作家です。
◆川上未映子「夏物語」あらすじ【貧乏/母娘/豊胸】
第一部 2008年
夏子は30歳、アルバイトで月十数万円を稼ぎ暮らしている。
20歳の頃に作家を目指して大阪から上京し、今も小説を書いている。
夏子のもとへ大阪から
姉が娘(夏子の姪)を連れて遊びに来ることから物語が始まる。
姉の巻子は39歳、巻子の娘・緑子は11歳だ。
巻子はシングルマザーで、大阪で緑子と2人きりで暮らしている。
しかし、もう半年間、この母娘は口をきいていない。
緑子があるとき急に巻子と口をきかなかくなったのだ。
小学校では普通に過ごしているが、家では一切声を発しなくなった。
その理由は分からずに、今は筆談でやりとりをしている。
そんな状態だが巻子が東京にやってきたのは
東京で豊胸手術を受けるためだ。
豊胸手術に向け、クリニックのカウンセリングを受けに来たのだ。
夏子もアルバイト生活でお金がないが、
巻子も決してお金があるわけではない。
スナックでホステスをしているが、緑子を育てるのに金銭的にぎりぎりだ。
そんな巻子が150万をかけてまでなぜ豊胸手術にこだわるのか。
夏子は姉が150万かけて豊胸手術をすることを理解できないが、
否定するわけにも、止めることもできないでいた。
そしてついにカウンセリングの日がやってくるー。
第二部 2016年~
夏子は38歳になった。
数年前に文学賞を受賞し、小説家デビューを果たした。
その後、ヒット作が生まれたことで
贅沢な暮らしはできないが、以前のような貧乏生活ではなくなっていた。
そして38歳の今も夏子は独身だ。
かつての恋人は結婚し、子供も生まれ、もう小学生になる。
夏子は自分が今後子供を産むことがあるのかを考えるようになる。
そんな時、精子提供(AID)の特集番組を偶然見る。
次第に夏子はAIDを受け、出産をしようと考え始める。
AIDについて情報収集をするうちに、
AIDによって生まれてきた男性・逢沢と知り合うことになるー
◆川上未映子「夏物語」感想【生むことは暴力か、祝福か】
前篇は緑子の母親に対する感情の動きが苦しくあたたかい。
母親のことが大切で、好きなんだけれど
母親の行動すべてを受け入れることはできない。
好きだけど喧嘩をしてしまう。
母親の仕事のこと、お金のこと、ひどいことを言ってしまう。
もう喧嘩をして母親を傷つけたくないから口をきくことをやめた。
豊胸手術のことも意味が分からないし
本当は言いたいことも聞きたいこともたくさんあるし、優しくしたい。
そんな緑子の混乱の中で綴る文章は苦しく痛く強く生きている。
最後はお母さん、怒ってるけど泣きそうな顔で、しゃあないやろ、食べていかなあかんねんから、って大きな声で言ったから、そんなん私を生んだ自分の責任やろってゆうてもうたんやった。でもそのあと、わたしは気づいたことがあって、お母さんが生まれてきたんは、おかあさんの責任じゃないってこと。
わたしは大人になってもぜったいに、ぜったいに子どもなんか生まへんと心に決めてあるから、でも、謝ろうと何回も、思った。(p.57)
前篇で緑子は生むことの身勝手さを吐き出した。
・・・
後篇では夏子のAIDによる妊娠を考える場面でまた叩きつけられる。
AIDによって生まれてきた善百合子は自分の生を呪っている。
生まれてきたことを後悔していて、生むことを強く否定する。
AIDでなくても、パートナーとの間の子どもの出産でも
人間が人間を生むことは罪深いのではないかと投げかける。
誰もが生まれたいと思って生まれてきたわけじゃない、と。
後篇は読んでいて辛くなる部分も多い。
生まれてきたことが間違いで
子どもを生むことは残酷だと語る善の
その痛みに飲み込まれてしまう。
善が言うようにみんな賭けをしているのかもしれない。
どこにも正しい親なんていないかもしれない。
ただそれでも
あの時生まれてきたことを嘆いた緑子は今幸せで、それは事実。
だからこのまばゆさを信じて繰り返してしまうのかー
そして印象的だったセリフがひとつ。
夏子がAIDを考えていると友人の作家・遊佐に打ち明けた場面。
シングルマザーで逞しく子どもを育てる遊佐は、夏子に言う。
「子どもを作るのに男の性欲にかかわる必要なんかない」(p.81)
母親が、産んで一緒に子どもと生きていく覚悟があればいいと。
今はもうそんな時代になんだと、広い。
本当に、どんどん技術や環境が整って
一人で自由意志で子どもを生める時代になったら
出生率はどうなっていくのか。